尹錫悦氏、信念の強さがあだに=「反骨」から「独善」―韓国 2025年04月04日 14時35分

権力に屈しない「反骨検事」として国民の支持を集め、大統領に上り詰めた尹錫悦氏が転落した。「信念が強い」と評される性格は、周囲の意見に耳を傾けない頑強さと紙一重。こうした姿勢があだとなった。
両親が大学教授という裕福な家庭に生まれ、ソウルの名門、沖岩高校を卒業した。尹氏と共に「非常戒厳」を計画したとされる金龍顕前国防相は同校の1年先輩。戒厳の背景に同窓のつながりがあったと指摘される。
1979年にソウル大法学部に入学。在学中の80年には民主化運動を軍が武力で鎮圧した光州事件が起こった。尹氏は運動には参加しなかったものの、模擬裁判で当時実権を掌握していた全斗煥元大統領に死刑を求刑したとのエピソードが知られている。
91年、9回目の挑戦で司法試験に合格し、検事に。朴槿恵元大統領の親友による国政介入事件で、捜査を指揮した。文在寅政権で検事総長に抜てきされたが、文氏側近で法相に任命されたチョ国氏の不正を厳しく追及し政権と対立。権力にこびない姿勢が人気を集め一気に大統領候補に躍り出た。
22年5月の大統領就任後、日韓の懸案である元徴用工問題の解決策を示すなど、国内の批判をものともせず意志を貫き通す姿勢が目立った。ただ、周囲の意見を聞かない姿勢は「独善的」と受け止められた。高級バッグ授受問題といった金建希夫人を巡る疑惑も相次ぎ、支持率低下に苦しんだ。
「自由民主主義」が信念で、少数与党にもかかわらず、北朝鮮に融和的な野党を「従北勢力」と呼び、対決した。政治経験がなく、妥協を知らないまま大統領になった尹氏。「イエスマン」の軍幹部らと計画した非常戒厳の挙げ句、「被告」という肩書だけが残った。(ソウル時事)。