異例ずくめの在位=バチカンに禍根も―ローマ教皇 2025年04月26日 18時30分

フランシスコ・ローマ教皇=1月26日、バチカン市(AFP時事)
フランシスコ・ローマ教皇=1月26日、バチカン市(AFP時事)

 【バチカン市時事】26日に葬儀が営まれたフランシスコ・ローマ教皇は、中南米出身者による史上初の就任から、教皇経験者で1世紀ぶりとなるバチカン市外への埋葬まで、異例ずくめだった。温和な人柄の一方、芯の強さで知られる教皇が持ち前の「型破りな面」(欧州メディア)を押し通した形で、教皇庁内に禍根も残した。
 教皇は南米アルゼンチン生まれ。2013年に選出されるまで、カトリック最高指導者の座は約1300年にわたりイタリアなどの欧州出身者が占めていた。他地域からの就任は、中東シリア生まれのグレゴリオ3世(在位731~741年)以来の出来事だ。
 教皇は自らの埋葬地に、生前よく足を運んだローマ市中心部のサンタマリアマッジョーレ大聖堂を選んだ。前任者の多くは、バチカン市にあるカトリックの総本山サンピエトロ大聖堂に眠る。
 死去の1年前、教皇は葬儀に関する規則改正を承認し、儀式やひつぎを簡素化した。教皇の葬儀が「権力者ではなく、キリストの弟子の葬儀」として執り行われることを明確にするためだ。さらに遺書で「墓は質素にし、特に装飾を施さず、『フランシスコ』とだけ記す」よう求めた。
 前例や慣例にとらわれなかったのは巡り合わせの面もある。先代のベネディクト16世(在位05~13年)は教皇庁のマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑や、聖職者による未成年への性暴力に苦しんだ。失墜した信頼の回復を図るには、教皇が改革の大なたを振るう以外にすべがなかった。
 ただ、改革には抵抗が付き物。12年間の教皇の在位は、教皇庁内での進歩派と保守派の対立に拍車を掛けた。次を担うのが教皇の遺志を継ぐ人物か、それとも巻き戻しを狙う人物かは、教皇の最高顧問・枢機卿らによる選挙「コンクラーベ」で明らかとなる。 

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