失われた「平和の海」=鉄のカーテン復活、閉ざす国際協力―科学研究に打撃、先住民分断・第1部「二つの北極」(6)〔66°33′N=北極が教えるみらい〕 2024年09月18日 07時30分
「北極を平和圏にしよう」。かつてこう宣言したゴルバチョフ元ソ連大統領が2022年8月、死去した。冷戦終結以降、北極は他の地域の紛争に影響されず、各国が科学研究や漁業規制で協力し合う国際協調の舞台だった。
だが、同年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻で一変した。協力は凍結され、フィンランドとスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)に加盟。北極はNATOとロシアで二つに分断された。ゴルバチョフ氏の死は、再び「対立の海」となった北極の変容を象徴するかのようだった。
◇紙一重の議長国交代
米国やロシアなど北極圏8カ国から成る北極評議会の「閣僚級」会合が23年5月、議長国ロシアの北部サレハルドで開催された。ノルウェーに議長を引き継ぐ重要な会合だったが、参加した加盟国閣僚はゼロ。実務者だけがオンラインで出席する異例の事態となった。
ロシアがウクライナに侵攻した数週間後、その他7カ国はロシア主催会合のボイコットを宣言。評議会は「機能不全」に陥った。
西側諸国と対決姿勢を強めるロシアが2年ごとの議長国交代を拒否すれば、評議会が空中分解する恐れがある。ノルウェー政府の実務者代表としてロシアとの折衝に当たったモルテン・ホグランド氏は、議長国交代が行われるか「閣僚級会合前夜まで確信がなかった」と明かす。
◇東西分かつ「壁」
北極評議会は今年2月、動植物や海洋環境の保護などの個別課題を話し合う作業部会の一部会合をオンラインで再開した。だが、ロシアとの政府間協力が再開できる見通しは立たず、研究者の往来も容易ではない。北極で急速に進む「気候崩壊」の原因や影響を解明しようとする研究の多くが滞っている。
「情報の半分を失った」。国際北極社会科学協会のグレテ・ホベルスルード理事長は、北極海沿岸のほぼ半分を占めるロシアから観測データを入手できなくなり、気候科学や海洋環境の研究に支障を来していると話す。
西側の科学者と連絡を取ると自身の身が危険にさらされるため、メールを送らないよう求めてきたロシアの研究協力者もいるという。同理事長は「東西を分かつ冷戦時代の『壁』が戻ってきた」と指摘する。
◇途絶えた交流
北欧とロシアにまたがる地域でトナカイの放牧などを行う先住民族サーミも分断に直面している。ロシアのサーミ団体は22年3月、ウクライナ侵攻を支持する声明に署名。全サーミの権利擁護を目的とする「サーミ評議会」はこれを受け、傘下のロシア側団体との交流凍結を決めた。
それから2年以上、交流は途絶えたままだ。サーミ評議会のアスラート・ホルムバルグ代表は「われわれのような西側の人権擁護団体と緊密に連絡を取っていると、ロシア側のメンバーが当局に目を付けられる恐れがある」と説明する。
冷戦終結以降、地道に築いてきた協力関係はもろくも崩れた。ホルムバルグ氏は悔しさをにじませる。「今はさまざまな通信手段があり、昔ほど強固な『鉄のカーテン』ではない。ただ、あの時代と多くの共通点があるのは間違いない」
▽北極評議会
北極評議会 1996年に米ロをはじめとする北極圏8カ国によって設置された多国間フォーラム。2023~25年はノルウェーが輪番制議長国を務める。北極圏の持続可能な開発や環境保護など共通課題での協力を目的とし、軍事や安全保障問題は協議しない。日本や中国、韓国は13年にオブザーバー資格が与えられた。