「早期のチベット解放を」=故郷に両親残す亡命政府職員 2025年06月27日 15時05分

インド北部ダラムサラの博物館で、チベット人亡命者がたどった経路を示す図を前に取材に応じる亡命政府職員の女性=20日
インド北部ダラムサラの博物館で、チベット人亡命者がたどった経路を示す図を前に取材に応じる亡命政府職員の女性=20日

 【ダラムサラ時事】「21年以上、家族に会える日を待ち続けている。チベットが早く解放されることを願っている」。インド北部ダラムサラ。チベットの歴史や文化を伝える博物館で、チベット亡命政府職員の女性(30)は目に涙をためて打ち明けた。
 目の前にはチベットで1959年に起きた動乱以降、ダライ・ラマ14世をはじめ大勢が故郷を逃れた経路を示す図がある。女性も2003年、チベット東部の集落から他の32人と共に国境越えを目指した。その中に家族はいなかった。
 中国当局による監視の目をかいくぐるため、移動は主に夜間。幼かったが「真冬に首まで漬かった川の水の冷たさを忘れることはできない」。ネパールを経てインドにたどり着いたのは、出発から約1カ月半後。その過程で死者や行方不明者も出た。
 亡命以来、チベットに残った両親とは会えていない。「来た道をたどって戻ろうとも考えた。家族や故郷を思い、毛布の中で声を殺し泣いたこともあった」と振り返る。
 中国チベット自治区でもある故郷では、共産党政権によってダライ・ラマの写真掲示が禁じられ、女性はインドに来て、僧侶として実在していることに驚いたという。故郷の学校では中国語の学習を強制され、固有の歴史や文化を教わることはない。「中国はチベットという国を消し去ろうとしているが、どんな政府でも不可能だ」と語気を強める。
 女性を送り出した家族は「より良い教育を受けさせ、チベットの文化や遺産を守らせたかった」のだという。亡命政府の援助で教育を受けた女性は、インド最高峰の大学で学位を得た後、職員として働くと決意。「今度は自分の番。チベットの大義のために働き、それを次の世代に伝える責任がある」と力強く語った。 

海外経済ニュース