ガザの新生児28人、脱出後の運命=「死の領域」からエジプトに退避―イスラエル攻撃のシファ病院 2024年10月20日 07時29分

パレスチナ自治区ガザからエジプトに退避し、赤ちゃんを抱くシャイマさん(右)とハラ・アルークさん=8月20日、カイロ郊外
パレスチナ自治区ガザからエジプトに退避し、赤ちゃんを抱くシャイマさん(右)とハラ・アルークさん=8月20日、カイロ郊外

 【カイロ時事】イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで昨年11月、地区最大のシファ病院から助け出された新生児らのうち28人がエジプトに退避した。イスラエルは当時、イスラム組織ハマスの司令室が地下にあるとして病院周辺を激しく攻撃。水や燃料、医薬品が不足し、連日のように犠牲者が出ていた。国連機関が「デスゾーン(死の領域)」と呼んだ病院から退避した新生児らはその後どうなったのか。
 ◇「神がつないだ命」
 エジプトの首都カイロ郊外に立つ真新しい養護施設。ガザを脱出した新生児らのうち9人が暮らしている。戦時下の混乱でほとんどが保護者を伴わずにガザから脱出。付き添った看護師2人が今もエジプトに残り、生活を共にする。
 「全員生き延びられないと思った」。看護師ムハンマド・ラードさん(33)とビラル・タバシさん(34)はガザの病院で新生児らと最初に対面した時のことを振り返った。保育器に4人ずつ入れられ、低体重で骨が浮き出ていた。退避したエジプトで28人のうち10人が死亡。奇跡的に生き延びた「神が命をつないだ赤ちゃんたち」(タバシさん)も厳しい環境が原因で、多くが何らかの障害を抱えている。
 当時、ほとんどの保護者は自分の子供が退避したことを知るすべがなく、病院で保管されていた資料も消失。保護者の所在が不明の期間が続いた。少しずつ確認が進んだが、家族全員が死亡していたケースもあった。保護者と再会できた9人は一部がガザに戻り、残りがエジプトや別の国で暮らしている。
 ◇母の自覚
 カイロ郊外の人けの少ない巨大な集合住宅から赤ちゃんを抱いた2人の女性が現れた。子供と再会してエジプトにとどまる家族が、政府が提供したこの住宅で暮らしている。
 ガザ北部ジャバリヤで暮らしていたシャイマさん(24)は昨年10月30日、爆撃音が響くシファ病院で娘のキンダちゃんを出産した。妊娠8カ月目の早産で、娘は生まれてすぐに保育器に移され、娘の姿を見る間もなく自身も別の病院の集中治療室に入った。娘がエジプトに退避したことを知ったのは、昨年11月に退院してからだった。
 シャイマさんは娘を追ってエジプト入り。「あなたの娘さんですよ」と保育器が並ぶ病院の一室で娘の元に行くよう看護師に促されたが、最初はどの子か分からず涙が止まらなかった。初めて軽い体を持ち上げ、母の自覚が芽生えた。
 「キンダを見せて」。封鎖されたガザに残る夫は毎日のビデオ通話で、スマートフォンの画面越しに娘の姿を探している。アラビア語で「山のように強い」という意味のキンダという名は夫が付けた。「夫は娘に一度も会えずに死ぬことを恐れている」。
 ◇「銃を買って」
 ガザ市のハラ・アルークさん(25)も退避した娘を追って昨年12月、当時4歳の息子とエジプトに避難してきた。ガザにいる父を慕う息子から「いつお父さんが来るの」と繰り返し質問されるという。息子は「お母さん、銃を買って。そうしたらユダヤ人を撃って、僕が検問所を開ける」と口にすることもある。
 パレスチナとイスラエルの間では世代を超えて暴力の連鎖が続き、和平は実現していない。もし、子供がハマスなどの戦闘員になりたいと言ったら母としてどう思うのか。シャイマさんも、アルークさんも口をそろえた。「もちろん子供の意志を尊重する」。 

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パレスチナ自治区ガザから退避した赤ちゃんの付き添いでエジプトに来た看護師のムハンマド・ラードさん(左)とビラル・タバシさん=8月28日、カイロ
パレスチナ自治区ガザから退避した赤ちゃんの付き添いでエジプトに来た看護師のムハンマド・ラードさん(左)とビラル・タバシさん=8月28日、カイロ

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